
この数年、東京の町焼肉が劇的に進化している。今回ご紹介するのは、トップアスリートが集う味の素ナショナルトレーニングセンターからもほど近い、板橋区本蓮沼の「炭火焼肉 南大門」です。
この焼肉店に卓上のダクトはない。客席となる、広間の壁の上方では8台の換気扇がいつもフル回転しているが、ピーク時には視界が遮られるほど煙い。
この日の『南大門』もそうだった。17時30分の口開けと同時に客が入りはじめ、19時には予約の団体客で満卓になったかと思えば、口開けの一人客が会計をして卓が空く。騒々しくはないのに賑々しい。あちらこちらから「タン塩!」「上カルビ!!」「ホルモン!!!」など楽しげな注文の声が響き、クリアだった視界にみるみる靄がかかってくる。
『南大門』の創業は1982年。2代目となる店主は創業者だった母の引退に伴い、2002年に23歳という若さで店を継いだ。店主は当時を「最初は職人さんやお客さんに教えてもらうことばかりでした」と振り返る。
地元客を中心とした大衆店だからメニューの幅は広い。「これでも少し整理したんですが」と苦笑いするメニューは、タン、カルビ、ロースが各5種、ハラミ3種、ホルモン系9種に鶏4種・豚2種・チョリソー・ベーコンなどなど。
その他のサイドメニューも豊富で肉の味付けも塩・タレとも選び放題。メニューには「わさび、コチュジャン、醤油、おろしポン酢、おろしにんにくございます。お申し付けください」と添え書きもある。
この店のメニューの大地はどこまでも広い。この日は店主に相談しながら「2名で南大門の肉を満喫する」組み立てを考えた。
これでもか、というほど肉尽くしだが、最初は「週に1回仕込む」という自家製キムチから。この日は比較的浅漬けのもの。「このくらいの加減だと、いつもは前週の古漬けと混ぜるんですが、今週注文が多くて前のものがなくなってしまった」と通常より少しフレッシュなもの。
そしていよいよ肉に突入する。少しずつ味の違う6種の焼肉メニューからまず差し出されたのは、塩味のネギ上タン。
いやあ、いい!
メニューに「厚切り」と書かれていなくとも厚さは目測で1cmくらいある。
厚切りタンはきっちり焼き込むのが常道。炭火の場合はまず両面とも泡を噴くほど焼き込んで、一度引き上げて2分ほど休ませた後、もう一度泡を噴くまで焼き込む。ハサミで切ってネギを乗せると、タンもザクッ、ネギもザクザクという食感。歯切れよく、ネギとタンの味わいが絡み合い、おいしさが膨らんでいく。
次に登場したのは中落ちカルビ。タレはほどよく甘さを控えた引き締まった味わい。老舗は比較的甘いが、量を食べる身としてはキレのあるタレがいい。
「店を継いだ頃、自分の好みの味に寄せたら常連さんにお叱りをいただきまして……。20年かけて、ほんの少しずつ甘味を控えた自分好みの味に寄せ続けているんです」
なんという根気強さ!「石の上にも三年」と言うが、雨垂れ石を穿つようにほんの少しずつ味を調整し続けているという。客に合わせた調味料を用意はするが、自分がおいしいと思える味にも真摯に向き合う。このタイミングで発注した半ライス(他店なら普通盛りに近い)がかえって甘やかに感じて、うっかり白飯が進んでしまう。
続いてのハラミは、店主が「断然おすすめ」と言う塩とわさびで。普段は「塩にんにく」で注文していたが、なるほど。ハラミの肉の繊維から染み出る脂をわさびがグッと引き締める。噛むほどにニュアンスが変わるおいしさがある。
並ロース(しんしん)はレア気味に両面を軽く炙って醤油とわさびで。やわらかくも引き締まった身質が醤油とわさびの味わいにぴったり。先代から継いだスペシャル上ロースは温かいネギダレのかかった一品で、「継いだ時、『変わったメニューだなあ』とメニューから下げようとしたけど、ファンも多いし意外とおいしかった」とそのまま継承することに。
そしていよいよホルモンだ。実は南大門が「モクモク系」として認識されているのは、ホルモン(コプチャン)とマルチョウなど脂の多い部位を焼いて落ちた脂が大量の煙となって立ち上るから。ふと顔を上げればまわりの客の卓からも煙が立ち上り、隣の卓がかすんで見えるほど。この店の煙という風情には客も一役買っている。
締めのテグタンスープを飲み終えて、お会計をしていたらレジ脇に、エンジェルス時代の大谷翔平選手のサインを見つけた。「メジャー1年目のときですね。普通に『大谷』で予約されて、いらしてビックリですよ。小さなお子さんにも気さくに接していらっしゃいました」。
この店はトップアスリートが集う味の素ナショナルトレーニングセンターからもほど近い。アスリートが肉に舌鼓を打つ向こうで、近所の会社の宴会が盛り上がり、傍らでは一人客がライス片手に黙々と肉を焼いていたりもする。
もうもうと立ち込める煙のなか、日常の境界を超えて誰もが深く焼肉を満喫できる。そんな町焼肉の醍醐味が『南大門』という空間には詰まっている。
文・写真:松浦達也